俺の土木遺産-10|川端駅
《 第 10 話 》
俺が幻の鉄道線でつーんだつーんだするわけがない!Over the Rainbow
ごきげんよう、卒業と同時に国家資格〔測量士・測量士補〕が取得できる近畿測量専門学校(国土交通大臣登録校)です。
今回のお仕事図鑑は、連載企画「俺の土木遺産がこんなに楽しいわけがない。」です。
※ このページの最下部に、アーカイブがあります。
※ この連載は、平成26(2014)年度メールマガジン登録者向けweb連載を再編集・加筆したものです。
■ 遺された隧道
今回も五新鉄道をご紹介します。
バス専用道となった吉野川以南には、前回紹介した生子橋梁や城戸トンネルのように単線鉄道の敷設を目指したことがわかる遺構が数多くあります。
その一部をご紹介しましょう。
まずは、衣笠トンネル(241m)。
老朽化が指摘され、バス専用道が閉鎖となるきっかけになったものです。
バス専用道が廃止されるまでは地理院地図にも描かれていましたが、現在では一部区間のみとなり、衣笠トンネルの場所は等高線のみとなりました。
続いて、生子トンネル(832m)。
前回紹介した生子橋梁の南側にあるトンネルです。
地理院地図では生子橋梁までは描かれていますが、トンネル部分は等高線のみとなりました。
■ 明治時代には構想があった
五新線の建設にあたって、五条駅〜野原・賀名生・阪本間(20.9km)と、五条駅〜二見・富貴・阪本間(37.0km)の2ルートが検討されていました。
建設されたのは前者ですが、後者のほうに長い歴史があります。
1896(明治29)年、現在のJR和歌山線 吉野口駅〜五条駅間が開業。同時に、貨物線として五条駅〜川端駅(当時は二見駅)間も開業しました。
この川端駅は、吉野川以南で生産される木材を輸送することを目的に設置されました。
五條は紀ノ川(吉野川)沿いの物資の集積地として繁栄した地でもありました。
そこに、吉野川以南で生産される木材その他物資の集積とその輸送を目的に、二見川端〜阪本間(約16km)に架空索道を建設することが企画され、1917(大正6)年に完成されました。
この架空索道は当初鉄道として計画されていましたが、急峻な地形を理由に断念しています。五新線建設はこの頃の構想を実現しようとしたものといえます。
川端駅は、索道と鉄道または舟運の結節点として繁栄し、後に貨物線(和歌山線貨物支線、通称川端線)として整備されましたが、1982(昭和57)年に廃止されました。
現在みられる遺構は、橋脚と築堤と川端駅の貨物ホームの一部です。
地理院地図「空中写真 1974〜1978年」をみると、当時の川端駅の様子が伺えます。
駅構内がX状と独特の形状をしているのは、架空索道で送られる物資を効率良く積み換えるための工夫だったそうです。
2019(令和元)年は「近代測量150年」。
ここに紹介した鉄道や索道も、当時の測量技術を駆使して現況を把握し、設計し、建設されました。
今となっては廃止になり遺構だけになりましたが、当時の産業や生活を知るうえで貴重な「資産」でもあるといえましょう。
■ 備考
衣笠トンネルと生子トンネルの写真は2006(平成18)年3月の土木遺産調査時、川端線の遺構は2019(令和元)年5月に撮影したものです。
現在、五新線(旧バス専用道路)の遺構へは立ち入りできません。
■ アクセス
川端線の遺構へは、JR和歌山線 大和二見駅から徒歩約6分。
五条駅前の観光案内所にあるレンタサイクル(台数僅少、普通自転車500円)で、新町高架橋を含む五條新町の観光を兼ねて行くとより楽しめます。
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