俺の土木遺産-06|心斎橋
《 第 6 話 》
俺が心斎橋でココロがぴょんぴょんするわけがない!
ごきげんよう、卒業と同時に国家資格〔測量士・測量士補〕が取得できる近畿測量専門学校(国土交通大臣登録校)です。
今回は、連載企画「俺の土木遺産がこんなに楽しいわけがない。」です。
※ このページの最下部に、アーカイブがあります。
※ この連載は、平成26(2014)年度のメールマガジン登録者向けweb連載を再編集したものです。
■ 今回は大阪です
今回は心斎橋にハートキャッチ・・・はいはい、今は「スター☆トゥインクル」だとかいわないの。
まず、上の写真をご覧下さい。
結論からいいますと、この橋は(元)心斎橋です。
しかし、どうみても、みなさんが思う心斎橋ではないですね。
それはそうです。
ここは、大阪市鶴見区。
1990(平成2年)年に「国際花と緑の博覧会(花博)」が開催された鶴見緑地なのです。
地理院地図でみると、十字の場所にあります。
■ ドイツからやってきた
初代心斎橋は、1622年、岡田心斎(おかだ-しんさい)によって架橋されました。
「心斎」さんが架けたから「心斎橋」なんです。
同様な例として、「淀屋」さんが架けたから「淀屋橋」があります。
江戸時代は、商売繁盛のために私費で架橋することがあったのです。
当時は木橋であったため、大雨で流されたり、定期的に架け替えられたりしていました。
歴史書によれば6回の架け替えと3回の補修があったと記されています。
1873年、ドイツから弓形鉄トラス橋(錬鉄造ボウストリングトラス橋)が輸入され、心斎橋として架橋されました。
その後、1908年に境川へ、1928年に西淀川区大和田川へ、1973年に鶴見区西三荘放水路へ移設。
1989年、花博開催による緑地整備で「鶴見西橋」として現在地に移設されました。
現在は主構のみとなりましたが、当時の原型を残す日本現存最古の鉄橋であることから、平成25年選奨土木遺産となっています。
なお、主構には桁の応力はかかっていません。
■ 市民の思いあふれる橋
あちこちに移設された理由は定かではありません。
同時の状況からいえば、このトラス橋の輸入には市民の寄付によりかなりの金額が賄われたとのこと。
当時の人々の注目を集め、多くの錦絵や名所案内に描かれていた心斎橋を末永く保存しようという市民の思いによって、輸入から130年以上経つ現在でも保存されているんですね。
橋は、架ける川の幅と長さがそれぞれ異なりますから、ほとんどがオーダーメード。
事前にしっかりとした測量と地盤調査が必要です。
そして、架橋後もしっかりとメンテナンスをしてあげると、この心斎橋のように長く使えるんです。
現代はモノが豊かにあるので使い捨てがちでますが、いいものを長く使うココロを見つめなおしてみませんか?
では、次回もお楽しみに。
■ アクセス
Osaka Metro長堀鶴見緑地線 横堤駅から徒歩約15分
(鶴見緑地の西端にあたるため、横堤駅のほうが近いです。)
■ 次回予告
《 第 7 話 》 俺が閉鎖空間でぽっぴんジャンプするわけがない。
(参考文献)
・土木学会選奨土木遺産
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